有馬名物/有馬サイダー

Posted at 07/06/15

今は昔、有馬温泉に人が立ち入らない場所がありました。

その場所とは、有馬町の南側の射場山と愛宕山の谷あいがで、
通称『地獄谷』と呼ばれて恐れられていました。

射場山断層の割れ目からは炭酸ガスが常に吹き出しており、
その影響で岩肌は白っぽくなり、洞穴にはプクプクと奇妙なお湯が湧いていました。

その洞穴に鳥や虫が入ると、二酸化炭素中毒を発して死ぬことから
有馬の人々はそれを“『鳥地獄』『虫地獄』と称し、その湧き出た水を
いつしか毒水と呼ぶようになっていました。

時は流れて豊臣秀吉の治世、この毒水に目をつけた者がいました。

三田藩城主の山崎家盛です。

彼は毒水を炭酸水と見抜き、温泉場を造ろうとしました。

この温泉構想に驚いたのは有馬の住民達。

「毒水を使うとは恐ろしいことが起きる」と豊臣秀吉に直訴し、
その温泉工事を差し止めさせたのでした。

温泉工事は中止に山崎家盛は怒り、
住民達を皆殺しにしたとの話しまで残っています。

しかし、この永年封印されてきた毒水が
あるできごとをきっかけに注目を集めることとなります。

 

明治6年、湯山町町長の梶木源次郎が有馬の杉ケ谷に
炭酸ガスを含む泉があることを聞いたことです。

梶木の記憶では杉ケ谷はかつて地獄谷と称された所、
毒水と恐れられていた泉がそれにあたるのではと考え、
兵庫県庁に調査を依頼しました。

内務省司薬場の検定により毒水が良質の炭酸水だと、
この時、初めてわかったのです。

有馬には赤湯と呼ばれる塩化ナトリウム泉があり、
これは金泉と呼ばれています。

一方、この毒水が二酸化炭素冷鉱泉で通称
銀泉と呼ばれるものでした。

この銀泉が見つかったことにより温泉ばかりでなく、
土産物まで使われることになります。

炭酸水を使った有馬みやげとして有名なのが炭酸煎餅。
これは明治40年頃、三津繁松が造り始め、
次第に有馬の温泉街に広まっていきました。

同じ頃、炭酸泉を使って日本初のサイダーが有馬で生まれています。

そもそもサイダーは外国からの飲料ですが、
これを模範として日本オリジナルのサイダーが有馬の地で造られました。

その発端は明治34年に誕生した「有馬鉱泉株式会社」の設立によります。

鳥居駒吉らが発起人となって作った同社はガス入りのミネラルウォーターを
瓶詰めにして外国へ輸出していました。

炭酸泉の傍に瓶詰工場を造り、温泉を使って「炭酸鉄砲水」なる清涼飲料水を
製造、年間2,000~3,000箱も出荷していたようです。

市場の評判も良かった同社が国内向けに生産した期待の新製品が
有馬サイダー』でした。

「有馬鉱泉」で造られていたガス入りのミネラルウォーターに
香料や甘味を加えると美味しい飲料となります。

これを『有馬サイダー』として発売。

明治41年には本格的に『有馬サイダー』製造を開始しています。

この『有馬サイダー』の発売に端を発して各地で近代産業の
象徴としてサイダーが造られました。

明治40年に設立された「帝国鉱泉」は、サイダーフレーバーエッセンスを
輸入して三ツ矢印の「平野シャンペンサイダー」(三ツ矢サイダーのルーツ)を
造っており、続く42年には「シトロン」というレモン系の炭酸飲料が登場、
これを機に爆発的なヒットを飛ばしました。

こういった背景が原因か、有馬鉱泉株式会社は44年には他の鉱泉会社に
対抗するために、イギリスから新式機械を購入し、大量生産を目指しています。

大正2年には大砲のデザインが入った角型のサイダーを発売。
以後も「有馬シャンペンサイダー」「有馬ストロベリーポンズ」「鼓シトロン」など
多くの種類を世に出してきました。

しかし時代の波には勝てず、大正13年に「金泉飲料」に買収されたのをきっかけに
翌14年に「日本麦酒鉱泉」に再度買収され、15年には川西市の平野に移され、
有馬での製造は幕を閉じてしまいました。

大正15年に幕を引いた有馬サイダーが復活したのは2002年秋のことです。

当時、有馬の温泉宿「御所坊」の金井啓修さんや「有馬片山幹雄商店」の
片山康博さんらは新しい有馬土産を作ろうと模索していました。

そこで思いついたのが日本初のサイダー『有馬サイダー』の復活でした。

昔ながらの味を出すために炭酸はキツめ、
飲むと思わずゲップの出るものに仕上げました。

昔風のイメージをつけるため「有馬八助商店」という合資会社を設立、
かつてのトレードマークの鉄砲を模したラベルをデザインして
「有馬サイダーてっぽう水」として有馬の町中で売り出しました。

全国から40年前の古い瓶を取り寄せラベルを貼って売るという力の入れようで
レトロ感あふれるサイダーは瞬く間に有馬の名物になりました。

「旅館やお土産物屋で売っているんですが、好評ですね。
古い瓶に入れているのでお土産物にする人も多いみたい。
でもいずれ瓶が切れるのではと心配・・・」とは片山さんの弁。

瓶の数に限度があるため、回収できなければ
また衰退の一途を辿る可能性もあるとか。

ともあれ、かつて杉ケ谷で湧き出た毒水が今では町おこしに一役かっています。
 

 

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